「自己肯定感の教科書」
自己肯定感の教科書
最初にまとめ
- 自己肯定感は時と場合によって高くもあり、低くもなる
- 自己肯定感は何歳からでも育てることができる!
- 自分の自己肯定感がどういう状態なのか認知することが大切
- 過去の失敗や、他人との比較に囚われてはいけない
- 自分の成果と努力で自分を評価していく
シロクマの実験
シロクマのことは絶対に考えないでください、といわれたグループが一番シロクマのことを覚えていた
つまり、意識して思っていることや感情を紙に書きだし、自分で目視できるようになる。
そのほうが忘れやすく、手放しやすくなる
ファーストチェス理論
5秒で考えたチェスの一手と30分かけて考えた一手の86%が同じ手になる
孫さんが実践しているらしい
レファレント・パーソン
解決できそうな人を想像し、その人ならどうするかを考える
- ビル・ゲイツなら?
- 同期のアイツなら?
- 上司なら?
自己有用感
人は誰かの役に立っていると感じる時に最大の幸福を感じる
ディズニーやスタバでは職場のMVPを投票できめている。
→でもこれだと選ばれない人がでてくるので、全体の幸福化にはならないのでは?リーダーやメンバーの個人が、別の人を、個人的に、具体的に褒めたりするほうが良いと思う。
自己肯定感を高める方法
- ヤッターのポーズ
- 感情が快の状態になり、血流が良くなってテストステロンが増える
- 歩く
- セロトニン分泌
- 意外と悩みが解決する
立ち上がる
- いつもと違うことをしてみる
- 仮眠を取る
- 5分間掃除をする
- これも一種の小さな成功体験何じゃないかと思う
- 内容次第で作業効率が上がる場合もある
課題の分離
- 最終的に誰の責任になるかを考えていく
- 自分が仕事でミスったら、
- 後始末をする人の責任
- 自分の評価が落ちる
- 自分が仕事でミスったら、
肯定的な宣言が肯定的な自分を作る
- 「運のいい人」たちは「自分が幸運だと思える証拠を集め、思い込みを強化している」
負の感情は数値化してコントロール
例えば10段階で数値化すると客観視できるようになり、過去と比較しながらコントロールできる
8以上になったら誰かに相談
9になったら数時間休む
10になったら1日仕事を休まなければならない
などという決まりを作っておく
「ジョジョの奇妙な名言集 Part1-3」
ジョジョの奇妙な名言集 Part 1-3
ジョジョの奇妙な冒険は、リアルタイムで読んでなくて、アニメが始まった頃から読んでいるのだけど、本当に名言・格言で溢れている。しかも年を取るほど気付かされるような内容が多いので、何度でも読みたくなる。
この本は第1部から3部までの中から、名言をまとめたもの
本書の中から、いつでも読み返したいものをピックアップ。
第1部
-- ディオ・ブランドー
このブログでとりあえげたいタイプのセリフではないけど、あまりにも有名なセリフであり、また「一体何人の命を・・」に対する切り返しとしてあまりにもキレがあるので書くしかない。
「策」ではないッ!「勇気」だ!!
-- ジョナサン・ジョースター
真っ直ぐな性格のジョナサン
「勇気」とは 「怖さ」を知ること 「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!
-- ウィル・A・ツェペリ
第1部はツェペリが名言をたくさん吐いていたイメージがあります。 「怖さ」の正体が何かを突き止め、覚悟を決めて対策を講じれば、「恐怖」も乗り越えられるはず。難しいけどね!
人間に不可能はない!人間は成長するのだ!
-- ジョナサン・ジョースター
真っ直ぐな性格のジョナサン(2回め)
人間讃歌は「勇気」の讃歌ッ!! 人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!!
-- ウィル・A・ツェペリ
こうしてみると、第1部は勇気についての名言が多かったように思います。ジョナサンやツェペリの真っ直ぐな性格が現れているのかなと。 もしくは自分は拾ったものがそうだったのかもしれないけど。
第2部
オー!ノーッ おれの嫌いな言葉は一番が「努力」で 二番目が「ガンバル」なんだぜーッ
-- ジョセフ・ジョースター
ただ愚直に努力する・頑張るのではなく、頭を使って作成を立てることがより重要であり、勝敗を決めるのはそういうところだ、という意味だと思う。一見コミカルなシーンなんだけど、本質的なことを言っていると思います。 そして、ジョナサンとは真逆の性格とも言えるジョセフらしいセリフでもある。
第2部は心理戦の要素が大きいということもあり、名言として取り上げられるセリフはそんなに多くなかったのかな。セリフというよりシーンとして取り上げられそうなところはいくつもありそうだけど。
第3部
ちがうね・・・ 道というものは自分で切り開くものだ
-- 空条承太郎
承太郎は若干17歳でこんなこと言っちゃうのかよとw
レロレロレロレロレロレロレロレロ
-- 花京院典明
これもね。
二度とあのときの惨めな花京院には絶対にもどらないッ!
-- 花京院典明
惨めだった過去の自分を乗り越える勇気を出す一瞬!
人間の魂というのは実に不思議だ 「敗北」する時! 自分の「敗北」を自分で認めた瞬間 魂のエネルギーは限りなく0に近くなる
-- テレンス・T・ダービー
ダービー弟のところは第3部で一番好きなところかもしれない。 仕事でもスポーツでも、敗北を自分で認めてしまってはいけない!
あ・・・ありのまま 今起こったことをはなすぜ!
で始まる例のやつもあまりにも有名なテンプレとして使われていますが、取り上げたい部類のものではないのでスルー。
人間は誰でも 不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる
-- DIO
人間の心理をついた言葉を巧みに用い、ポルナレフに対して自分に仕えないか迫るDIO。圧倒的に強力な相手の前にこの悪魔の取引のようなセリフを吐かれたらどうしよう。
こうやって見ると取り上げたものの中に承太郎の名言が1つしかなかったな。あまり饒舌に喋るタイプでもないからかな。
「苦しかったときの話をしようか」
苦しかったときの話をしようか
まとめ
人生とはなにか、会社とはどんなもので、働くとはどういう意味か、社会とはどういうものかなどを父が子に伝えたいことを手紙としてまとめるスタイル。
子を持つ親として、こういうことができるのは一つの本望であると思う。
本書が素晴らしいと思うのは、著者が自分の経験や考え(パースペクティブ)を、親として子に押し付けないように細心の注意が払われているというところかと思う。子が、その他人のパースペクティブを土台として、自分のパースペクティブを形成し、最良の決断が自分自身でできるようにというのが目的になっている。
個人的に、この本の中でビジネスパーソンとして最も読む価値があるのは、本のタイトルとなっている第5章だった。アメリカ駐留時代の壮絶な戦いの記録を含めた、森岡さんが苦しかった時の3つの話。
森岡さんですら、
- (原因論的にいうと)過去がトラウマになって今でも電話に出られない
- 自分が信じられないものを他人に信じさせようとしなければならなかったが言えなかった
- 自分が無価値だと感じてしまう
ということがあったのだなと。しかしそれを乗り越えるのはやはり自分の強みへの集中と、覚悟であった。 こういうのを見ると、自分には、覚悟や戦略的思考、行動を起こす勇気がまだまだ足りてないのだなと思わされる。
他にも読んでみたい。
「ワンダー 君は太陽」
ワンダー 君は太陽
「僕は普通の10歳の子じゃない」--オギーは遺伝子の疾患で、人とは異なる顔で生まれてきた。27回の顔の手術のせいで自宅学習を続けてきたオギーだが、両親は息子を外の世界へ送り出そうと決意する。だが、5年生で入学した学校で、オギーはいじめや裏切りなど初めての困難と出会う。幾度もくじけそうになりながら、家族の愛を勇気に変えて立ち向かうオギーの姿に、周囲の人々が変わり始める。そして忘れられない1年を締めくくる修了式の日に、最大の出来事が待ち受けていた──。
遺伝子の疾患のせいで引きこもるオギーとその家族が勇気を持って入学という一方を踏み出す話なのだが、子を持つ親として自分ならどうすることができるだろうかとあらゆる場面で考えることになった。
この映画の良いところは、物語の視点がオギーだけに固定されてないことだと思う。それによって、例えば障害を持つ人本人だけでなく、周囲の人の自然な関わり方とは何か、物語を見る側の我々の心に訴えかけてくるものが大きくなる。
親や周囲から少しだけ保護が必要なオギーにすべての関心が集まりがちだが、姉ヴィアにはヴィアの複雑な感情があり、親友ジャックにはジャックの立場があり、ミランダにはミランダのと、みなが自分や周囲の幸せのために懸命に生きようともがいている。
一つの目立つ事象を固定的な視点でとらえずに、あらゆる人の心を通して見ることができ、つまり相手の考えを想像し、そしてどうあるべきかを考えることができる。それが可能なのが映画や小説なのである。この点において、フィクションであるか実話であるかは当然重要ではない。
オギーがジャックを助けたあとに、エイモスが「さっきかっこよかった」と言った時の関わり方がとてもさり気なくて、この映画が必要以上の演出によって感動を求めるようなものになっていないことを象徴するような場面だった。
ネート演じるオーウェン・ウィルソンはどこかでみたことがあるような記憶があったが、「ミッドナイト・イン・パリ」に出てた人なんですね。ググってスッキリしました。
「アジャイルサムライ」
アジャイルサムライ
読むの2度目。前回よりも実戦経験を得た上で読む。
メモは、改めて意識したいと思った部分や気づいた部分、だけ。
3つの真実
- プロジェクト開始時にすべての要求を決めることはできない
- 決めたところで、どれも必ずと行っていいほど変わる
- やるべきことはいつも、与えられた時間と資金よりも多い
だから、アジャイル開発を選ぶのだ。 計画→フィードバック→改善のサイクルをちゃんと回すことで変化に対応しやすく、よりよいプロダクトへと軌道修正しやすいから。
開発チーム
開発チームにはクロスファンクショナルなメンバーで構成されていて、テクニカルライター、ビジネスアナリスト、プロジェクトマネージャ、プログラマ、データベース管理者、UXデザイナー、テスターなどが含まれる。
アジャイル開発を始めると、プログラマとプロジェクトマネージャくらいしか開発チームにいない、ということはよくあるけど、テスターを追加するというのはやったことがないかも。結構別働隊的に動いているかな。。
インセプションデッキについて
プロジェクトがどんなものであるかを短い10個程度の質問によって明らかにし、すべてのステークホルダーに見えるようにする、というもの。 プロジェクトを立ち上げると、いろんなマネージャーや企画方面からの夢が大きくなりがちですが、対立点やバランスを考慮した上で、こういったものを予め決めておく事は重要ですね。途中で、絶対に、根本を揺るがすことを言ってくる人がでてくるので、そういうブレそうになったときに皆でみるものとして使えます。
特に重要なのは、
- 期間を見極める(いつリリースするか)
- やらないことリスト
- 何を諦めるか
あたりかなと思いました。 ちなみにインセプションデッキ上の期間および費用の見積もりは超適当で、精度なんてあてにならないもの。
開発期間を見極める
小さく始めるためには、プロジェクトを6ヶ月にするのがリスクとのバランスの上では最長という考え方があるらしい。 あくまでも、アジャイル開発という点からすれば、ということであるけれど。
これは与えられた制約条件の中にすでにリリース時期がある程度固定されてしまう場合があると思うけど、たしかに「サイクル」ということを意識すると、短いほうが良さそう。
ユーザーストーリーの単位はINVEST
- Independent
- Negotiable
- Valuable
- Estimatable
- Small
- Testable
POを企画とか開発しない人がやったりするとこのあたりは絶対と言ってよいほど守られないので、スクラムマスターや開発チームからしっかり監視する必要がありますね。Jiraのテンプレートに反映させるべきかもしれない。
見積もりは不確実である
いわゆる不確実性コーンであり、遠いものほど不確実性が高まるので、スコープのコミットする時期を遅くするほうが良さそう。
NEGATIVE BALL
さいたま近代美術館にいって、MOMAS展を見に行った。
久しぶりに現代アートを見ると何を感じるのだろうか。何か得るものがあるだろうか。 (という期待をして毎回チャレンジするけど、いつも撃沈している)
今回も、いろんな作品を想像力を働かせて見てみる。何となくこんなものを書いたのかなーとか、この人はなぜコレを描きたかったのだろうかなどと適当に想像してみる。ほとんどのものはよくわからなかったか、あるいは自分にとって価値のあるようなものを感じることはなかった。
ただ唯一、志水晴児氏の "NEGATIVE BALL" という屋外に飾られた展示物にだけ、吸い付かれるように心を奪われた。
立法体の一部を球でくり抜いたような作品。まるでPower Pointで2つの図形を合成して切り抜いたようなもので、球型の穴の下部にはここ数日降った雨水が濁って溜まり、枯れ葉などのごみ、そしてボウフラのような微生物が漂っていた。
予備知識なく、現地で見ているときは、正面から見るとなんとなくハートっぽく見えるけど、なぜ"Negative"なのかなと思った。くり抜いて反転させている = "Negative" ?なのかなーと考えた直後に、全く別のところから、別の考えが突如浮かび、ハッとした。それはアドラー心理学の「意味づけ」だった。
一つの事象は、見る人独自のメガネによって意味づけされ、解釈される
といったような意味だ。
つまり、完全な球体をあえて反転して、Negativeな視点で見ると、こうやって重くてゴツゴツしたものになり、中に不純物が溜まってしまい、いろいろと厄介に見えてしまうけど、見方を変えればもっとシンプルなんだよ、ということである。
何も解説がないし、答え合わせのしようがないのだけど、まあこれは多分、偶然による完全に個人的な解釈であろう。最近アドラー心理学に傾倒していることで、自然とそういう見方になっただけかもしれない。でもなんだか自分の中でとてもしっくりきてしまい、すごく惹きつけられたのだった。これのポストカードがあったら買って帰ろうかと思ったが、残念ながら見当たらなかった。
このオブジェについて、あとで検索してみたが、以下の記事にあるような見方が一般的なのだろうか。
現場で自分が見たときはしっかりと日があたっていなかったこともあって、内側に球体が浮いているようにも見えなかった。 もしかして、水が反射して球体の内側に投影される影が、凹んだ形に投影された球だから、"NEGATIVE BALL" なのだろうか。(でも凹型をNegativeというかな??) どちらにせよ天候という偶然性が大きく関わっているのは確かである。もし自分が製作者だったなら、ある偶然が成立しないと理解できないものを、説明無しで展示するということはしないかなーと思ったり。
どちらでも良いのかな。コンテンポラリーアートってこういうものなのかな、とちょっと思ったのだった。
あと、さいたま近代美術館がある北浦和公園には中銀カプセルタワーの展示があることを後で知りました。。。残念。またいつか行きます。その時に "NEGATIVE BALL" を見たら自分はどんな解釈をするのだろうか。
「いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本」
いつも自分のせいにする罪悪感がすーっと消えてなくなる本
さいしょにまとめ
罪悪感のタイプを分類する前半と、それぞれについてどう付き合うべきかの後半。
前半の内容には納得感があった一方、その一つ一つを後半で網羅できていなかったように思いました。
メモ
罪悪感は誰にでもある
- 罪悪感とはルールみたいなもので、誰しもが持っている。もしなくなったら手を使って良いサッカーみたいな人生になるかもしれない
- ドラマを盛り上げる演出役
- 罪悪感は消すものではなく、付き合っていくもの。
- まずは自分の中にあることをしっかりと受け止める
- 罪悪感とは
- 自分は幸せ担ってはいけないような気がする
- 自分は大切な人を傷つけてしまうと思う
- 大切なものは自分から遠ざけてしまいたくなる
- 愛する人と距離が近づくと怖くなり逃げたくなる
- 自分は穢れていると思う
- 自分は迷惑な存在なんじゃないかと思う
- 幸せになることが怖いし、信じられない
- 誰かに愛されるという発送がない
- 誰かの愛がうけとれない
- . 助けを求めることが苦手だ
- . 自由になることは誰かに迷惑をかけるものだと思っている
- . 問題が起きると自分のせいのように感じてしまう
- . 自分は毒のような存在だと思っている
- . うまくいきそうになるとつぶしてしまいたくなる
- . そもそも何かを壊したい欲求が自分の中にある
- . 自分は表に立ってはいけないと思っている
7つのタイプ
誰かを傷つけてしまった、壊してしまった(加害者の心理)
- 仕事で大きなミスをしてしまい、取引先はもちろん、自社にも大きな迷惑をかけた
- 子どもが自分の意見を言わないのは私があれこれ指示を出しすぎたせいか
加害者と被害者は悪循環の関係
「無害者」になる
助けられなかった、役に立てなかった(無力感)
- 他人のサポートをしたがむしろ足手まといになってしまった
- 自分に期待してくれた会社や上司に精一杯成果をあげようとしたが、うまく行かなかった
- チームのためにと一生懸命頑張ったが、うまく行かずみんなを休出させてしまった
- なにもしてない、見捨ててしまった
- 仕事上のある問題に気づいていたが何とかなるだろうと思って見過ごしていたら、大きなトラブルに発展してしまった
- 恵まれていることへの罪悪感
- 高学歴・高収入が嫌味になるのではと思って身構えてしまう
- 自分は毒である、自分は穢れている
- 親やパートナーから受け継いだ罪悪感
- 「私なんかの子どもでごめんね」と言われるとその環状をコピーしてしまう
- そのほか
- キリスト教の原罪
- ...
自分の許し方
- 正しさを主張する人ほど罪悪感が強い
- 罪悪感が強ければ強いほど、認めた時に保証や謝罪をしないといけないと思い、正当化・責任転嫁をする
- 自分のせいにするのではなく、すべての問題は50:50と捉える。
- 対等
罪そのものを客観的に眺める
- 「自分のせいだ」と自分を責めるよりも、「自分がやったコトに原因がある」と捉えることで、客観的に自分を見つめる
- それでも叱られたら、一応「謝罪」はしておく
- 自分で許すことができなければ、問題は何も解決しない
- 「自己肯定感」が必要
- これが自分だもの
- ミスをした後輩に接するように自分に接する
- 自分の感情の波を乗りこなす
- 客観視し、実況中継するように観察し、ラベリングする
- 自分自身に「無罪」を宣言する
- 肯定的暗示
- 「私は私を許します。私は無罪です。・・・。・・・etc」と繰り返す
- 罪悪感は他人に感謝することによって癒やすことができる
- 自分らしく生きている(架空の)自分をアドバイザーに指名し、助言を求める